ああ、すいこまれてゆく。




































理由は無いわけじゃない。
不意に見せた笑顔がキレイだったとか、
細いだけだと思ってたのに結構筋肉もついていたとか、
伏せた目の睫が意外と長かっただとか。
上げてみればいくらでも上がり、それで片付けようと思えば片付けられる。
しかし、私はそのときの、今までに経験した事ないくらい奇妙で、
心地よく、かぐわしい、媚薬に惑わされたような感覚を
それらしい理由をつけて終わらせてしまいたくはないと思った。
終わらせてはいけないと思った。















































わたしは、すいこまれたんだ。















































時は夜。所は月見亭。
真冬の寒気が肌刺し、ひゅうと風が吹けば一瞬のうちに目や唇が乾く。
感覚の失せた鼻をすすっても、鼻水が止まったかどうかもわからない。

「さみぃ…」

言ってみたところでどうにもならないのだが、つい口に出してしまうのが人間の性である。

羽織は着てきたが、真冬に寝巻きでここまで来たのはやはり間違いであった。
そもそもどうして、真冬の、しかもこんな夜中に学園の端にまできたかというと、

まあ、厠に行って帰ってきていたときだ。
暖かい布団に潜り込んでさあ寝ようと意気込んでいたときに、ふと、厠に行きたくなった。
冬は近いから嫌だ。
そう思いながらも、その後の安眠を求めて急いで行き、早く布団の中に戻ろうと
肩をすくめ爪先で歩いていたときに、ふと空を見た。
驚愕した。
夜空いっぱいを、こうこうと星が覆っていたのだ。
星空というのはこんなにも綺麗なものだったか、と。
思わず歩みを止めて魅入った。
最後に星をじっくり見たのはいつだったか。少なくとも上級生になってからは
空を見上げるなんてことをした覚えは無かった。
星はあんなにも光るものだったか。
たんなる青白い点ではない。
中心から細い光の筋を発し、いくつかは赤く、白く、金色や青に輝き、チカチカときらめくものもある。
そんな星々が夜空一面に散りばめられていた。

もっと見たい。

ここでは屋根が邪魔だった。
まず、庭に下りた。
長屋の壁が妨げとなり、北の星が見えなかった。
中庭に行ってみた。
松の木々に隠されて光が遮られた。


全部見えるところを。


歩いて歩いて、たどりついたのが月見亭だった。


庵の中には、火鉢がある。
火をつける道具があればいいのだが。


中に入ろうと、そっと障子に手を掛けた。
冷たい冬の夜に白い障子はよく映え、それは気持ちよく、音も立てずに開いた。

「誰だ?」

「…立花?」

私が障子を開ける前に、内側から知った男の手によって開かれた。
私が驚いてぼんやりと突っ立っていると、その端正な顔が不審そうに歪んだ。

「………なにしてるんだ?」

「…そっちこそ」

つい挑戦的な対応になってしまって、後になって、しまった、と思った。
しかし、立花のほうは全く気にした様子もなく、一言、入れ、と言った。

















































火鉢は無かった。
ひんやりとした空気に軽く身をふるわせる。
足から伝わる板間の冷たさに、爪先の感覚が消えた。

「…立ってないで、座ったらどうだ?」

凍えた空気をふるわせて、凛と立花の声が響く。
壁にもたれかかって、夜の冷え込みのせいか、涼しげな顔がさらに涼しく見える。
軽く頷いて、部屋の隅に重ねてあった座布団をもって、立花の隣に座った。
立花は私が来たせいか、下ろしていた髪を軽く束ねようとしていた。

小さな明り取りの窓。
そこから、わずかに星が瞬くのが見える。

「星…見に来たのに…」

ポツリと呟くと、髪を束ね終えた立花が振り向いた。

「…その格好でか」

薄い寝巻きに羽織一枚。
真冬に、しかもこんな夜に。

「立花だって…同じ」

立花は、まあな、と返事して、軽く俯く。
ちょっとだけ、笑って。

「…立花は、何しに来たの」
「別に。なんとなくだ」
「何となくで、こんな寒いのにうろついたりしない」
「お前だって似たようなもんだろ」
「…うん、そうかも」

それだけ聞いて、ゴソゴソ身を動かす。

「何してるんだ」
「…寒いから」

床に敷いていた座布団を取って、ぎゅっと腕で抱きかかえる。
布の当たる面積だけは何となく暖かい気がする。

「ガキみたいだな」
「うん、いいじゃん、寒いんだから」

寒いのに。
何で私はこんなとこにいるんだろう。
満天の星空を見たから。
もっと見たい、そう思って寒空の下を歩いた。
澄んだ冬の夜の空気が気持ちよくて。
吐く息が白く立ち込めるのが楽しくて。

クスクス笑って思う。
ほんとに、子供みたい。

「なに笑ってるんだ」

訝しげに立花が問うてくる。

「ん?別に?」

笑いながら答える。
立花はなんだか呆れたみたいに、ふうん、と呟く。
何だか、楽しかった。
アハハ、と軽く笑って、座布団を抱き締める。

スッと肩に腕が回った。

「…」
「…」

それっきり訪れる沈黙。
落ち葉が風で駆け抜ける音さえしない。
ただ聞こえるのは冷たい夜の音。
肩に回された腕は、暖かくも何ともなかった。
けど、ゆっくりと頭を、立花の肩に傾けた。
全部、身を委ねた。

「…」
「…」

蒼い、闇の音が、心地いい。

立花はどうしてここにいたんだろう。
いつからここにいたんだろう。
絹のような冷たい髪。
どうしてこんなことするんだろう。
恋人でもない。
わたしのことが好き?
だったら睦言の一つでも囁け。
でも、そんなことどうだっていいや。
だって、今こうしていることが、とても、きもちいいから。

沈黙の音が聞こえた。
物の音が聞こえた。
ガサガサとかトントンとかそんな無骨な音ではない。
音というより、声に近い。
障子や壁や、床の間や、いろんな物がぽつぽつと囁きあっているようなそんな感覚。
そんな端々から伝わる声が心地よくて、闇に溶け込むように目を閉じる。

星がこぼれる音がした。

「流れ星?」

わずかに身を起こす。
音が空気を震わす。

明り取りの窓から空を見上げても、もう流れ星の姿は消えていた。
チカチカと、星は何事もなかったかのように瞬き続ける。
なんだ。心の中で呟く。
膝の上にあった座布団が横に落ちていた。
それに手を伸ばしたとき。
優雅な腕がそれを制した。
はっとして振り返る。

























































しせんが、からみあう。





































理由は無いわけじゃない。
不意に見せた笑顔がキレイだったとか、
細いだけだと思ってたのに結構筋肉もついていたとか、
伏せた目の睫が意外と長かっただとか。
上げてみればいくらでも上がり、それで片付けようと思えば片付けられる。
しかし、私はそのときの、今までに経験した事ないくらい奇妙で、
心地よく、かぐわしい、媚薬に惑わされたような感覚を
それらしい理由をつけて終わらせてしまいたくはないと思った。
終わらせてはいけないと思った。















































息がかかる距離。










絡み合う視線。



逸らさない。

だって逸らせない。



片方の肩は壁にもたれて、もう片方の肩に立花の手がかかる。
白くて細い指は、以外に力強くて、
星のわずかな光の下で見る肌はいつもよりずっと滑らか。
切れ長の目が、私を緩やかに捕らえる。
ひとこと「やめろ」と言えば、きっと彼は離れる。
頬に手が触れる。
冷たい体温。
闇に浮かされたように目を閉じる。

そうしてわずかな温もりを感じたとき、
このまま夜が明けないんじゃないかと思った。




















































そのあと、どうやって部屋に帰ったかは覚えていない。
ただ、次の日、私も立花も何事もなかったかのように言葉を交わし、
何日たっても私と立花が睦言を交わすような関係にはならなかった。
学園を卒業した今、彼とは一度も会っていない。
彼を恋しいと思ったことはそれからも決してなかったけど、
あの夜のことは今も、これからも決して忘れる事はない。







































わたしは、すいこまれたんだ。























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