ケモノの横顔



ポチャン、ピチャ…ピチャ…。
暗い石造りの空間に、水が滴る音が冷たく響く。
薬が切れた所為か、あの雨の中立ち回りを演じた所為か、先ほどの拷問の所為か、
痛みがジクジクと文次郎の体を侵食し始めていた。
仙蔵は、牢の外側の岩壁に隠れてその様子を窺っていたが、
彼の黒髪が見え隠れしているのを文次郎は見逃さなかった。

「よう」

恨みがましいような、親しみが込められたような声で、文次郎が声をかけた。
仙蔵は、沈黙を守りつづける。だが文次郎はそれに構わず言葉を続けた。

「さすがお前が忍頭を勤めてるだけあんな。拷問にもぬかりねぇ」

文次郎は、自嘲するように、掠れた笑い声を漏らした。
仙蔵は牢の壁に体をもたれたまま、なお、だんまりを決め込む。

「しかしあれだな。二十歳で頭っつったら大した出世じゃねえか。
卒業ギリギリまで進路決めてなかったヤツにできるこっちゃねえ」

からかうような調子。だが、途端それは落ち着き、どこか寂寥を含む調子に変わった。

「俺は…だめだったな。昔は大きな事言ってたが、ヒラ忍者どまりだ、
隊自体は上のほうだがな。ったく、世の中結構厳しいもんだな。
暗部なんざ、体ばっか使う割には給料も安いし………」
「忍がペラペラ自分の事を語るんじゃない」

仙蔵がようやく口をあけた。
文次郎はいささか驚嘆した。

「まさか、お前の口からそんな言葉が聞けるとはな」

俺が昔言ってた事みたいじゃねえか。
そう言われて仙蔵は眉間の皺を深くした。
熱く夢を語っていたお前が、そんな弱音を吐くから悪いのだ。
そんな考えが頭をよぎった。

「お前の処罰は明朝殿に請う。それまでここで大人しくしてろ」

そう言い捨てて、仙蔵はその場を去ろうとした。

「ちょっと待てよ、おい」

しかし、文次郎の声がそれを制した。
切羽詰ったような雰囲気に、思わず足を止める。
やがて、ようやく聞き取れるくらい静かな声が搾り出された。

「なんてったか。あの女」

仙蔵が黙っていると、聞こえなかったとでも思ったのだろうか、付け足すように、
今度はもう少しはっきりとした声が聞こえた。

「あの、医者のセンセイだ」

思い当たるのは一人しかいない。

「…………………」
「・………

牢の奥、文次郎は己の脳に染み入らせるかのように反芻した。

「なぁ、仙蔵」
「なんだ」
「俺はひどい人間か」
「…」
「あいつがこの城追い出されたのは俺の所為だろ」
「ああ」
「女だてらに城付きの医者になるなんて、そう楽な事じゃねえ。
 よっぽどの覚悟と実力があっても、周りが認めねえだろうな」
「だろうな」
「………どんだけ、苦労したんだろうなあ…」
「…」
「全部、俺がとりあげちまった」

文次郎の声は震えていた。
決して泣きが入った調子ではなかったが、ひょっとすれば心で泣いていたのかもしれない。
この男が涙する事なんぞ、今まで一度も見たことがなかったが。
…………考えたくもない。
腹の底が、ざわついてしょうがない。

「明日、殿の御前に引っ立てる。裁きの最中倒れたりすることのないよう休むんだな」

仙蔵は牢を去らんと石の階段に一歩足を掛けた。
今度は文次郎が後ろから引き止めることはなかった。
だが、階段の先に輝く松明の明かりがおどろおどろしく踊るのを見て、
仙蔵は一瞬、思いとどまった。

「…もう、あの頃とは違うんだ」

吐き捨てるというには丁寧すぎる、そんな一言を薄暗闇に残し、
仙蔵は足早に階段を駆け上がっていった。
文次郎は、その足音が遠ざかるのを聞きながら、冷たい牢壁に軽く頭を預けた。







結局、一度も見なかった…。

――――――あいつはどんな顔をしてたのだろう。













…戯れしケモノ 孤高のケモノ…






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