「で、あの子をどうするつもりじゃ」
学園長室で大木雅之介と、大川平次渦秦は向かい合って座っていた。
その脇には山田伝蔵・野村雄三など忍術学園の教師陣も居る。
は中庭で数人の生徒と遊んでいる。
「…とにかく、後数日ここに置かせてください。あの子の親族はすべてこの事件で殺されていました。
引き取り手もこの時世で見つかるかどうか…。どうか、はここに…」
「それは一向に構わんが…」
学園長は言葉を濁した。
「その、精神面ではどうなのじゃ?斯様な出来事があって…」
雅之介に全員の視線が集まる。
雅之介は肩を微かに震わせていた。そしてぼそりと、吐き捨てるかのようにいった。
「狂いました」
はっとその場にいたものが息を呑む。
離れた所からや一緒にいる生徒たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「あんな事があって、あんな小さな子が正気で居られるわけない。母親が村中に火をつけて、
そして村人を皆殺しにし始めて、自分も殺されそうになった。自分をかばった兄は首を斧で
切り落とされて、はそいつを目の当たりにした…。狂わずに居られませんよ…!」
沈黙が流れた。
「………むぅ、わかった。あの子はここで暮らさせよう。しかし部屋があいてないからのう。
おばちゃんのところで寝起きしてもらおうか」
「学園長…、ありがとうございます!」
その夜、雅之介はなかなか寝付けなかった。
これからをどうするか思案すると目が冴える一方だった。
今までは放っておけずに、とりあえず学園に連れてきて身を引き取ろうと言う事だけを考えていたが、
それが一段落すると、一体どうしたものかと考えるようになった。
今日は授業が中止になった生徒が面倒を見ていてくれたが、これからも毎日見て貰えるわけがない。
自分も授業があるし、食堂のおばちゃんだって仕事がある。
いっそくの一と一緒に忍術でも学ばせようかとも思ったがまだ五つのが四つも五つも年上の子らに
ついていくのは難しいだろう。
ああ、本当にどうしたものかと考えているとけたたましい足音とともに野村が部屋に飛び込んできた。
「雅之介!あの子はどうしたんだ!」
走る雄三に連れられてたどり着いたのは、おばちゃんの部屋だった。
野次馬の生徒たちが部屋の周りを取り囲みその中心から狂ったような叫び声が聞こえてきた。
野次馬を掻き分けてやっと視界が開けると…
「!!??」
そこにはがいた。
半狂乱で髪を振り乱し、ぶるぶると離れて見ても分かるほどに震え、目を見開き、奇声を発しつづけていた。
なだめようと近づくおばちゃんの手を振り払い、近寄られるほどに部屋の隅へ退き、自分の身を守ろうとするように
細い腕を振り回していた。
「…」
雅之介がその名を呼ぶ。
一瞬、の動きが止まった。
「……………あにうえ………」
しかし、おばちゃんがまた手を差し伸べると元の状態に戻ってしまった。
「あああああああああ!!いやああ!来ないでええ!やっ、やめ、あっ、兄上、あにうえぇ…、兄上ぇ!!」
は頭を抱え、部屋の隅に身を硬くしてうずくまった。
雅之介はに走り寄って、その体をしっかりと抱きしめてやった。
「大丈夫だ、大丈夫…、お前の兄はここにいるから…、いるから…」
「ア、あ、兄、う…ェ…、ひっ、うぅ…、あにうぇぇ……」
は暫くの間、腕の中で抵抗していたが、そのうちに段々と大人しくなり、
嗚咽もなくなってきた。
すっと腕の力を緩めると、安らかな寝息が聞こえてきた。
野次馬は他の教師の手によって追い返された。
何がどういうわけでこんな事が起きたのかまだよくわからない面々の前に、調査に出ていた山田伝蔵が現れた。
「学園長!の身元や家庭状況が集まりました!」
伝蔵が少しずつ、巻物を広げて語り始めた。
の家族は雅之介の言ったとおり、母と兄の二人きりであった事。
兄との仲は大変良かったが、母はに対して多少つっけんどんであった事。
と兄は異父兄弟で、他の男と関係を持った妻に愛想が尽きて夫は村を出、の父の男は
子供とそれを身篭った女を疎ましく思い、これもまたの母を捨て、他の町へ移った事。
の村での出来事の原因は、近隣の城の差し金で、村をはさんだ向こうの城に攻め込む為に、
その敵城の下にある村がどうしても邪魔であった事。そしてその村には自分たちの城に入り込んだ
忍びがいたこと。その忍びは、…の、兄で、あったこと。そして、村に火を放ったのは、
の、母。「村を滅ぼせば、お前は助けてやる」と、唆されたらしいこと。
村は焼け野原となり、遺体の回収も困難の状況にあること……。
「これは…、何ということじゃ…」
最悪の出来事で、この幼い少女は天涯孤独の身になった。
そして、その原因である、恨むべき対象は実の母。
「ところで…、先ほどこの部屋に人が集まっていたのはまた何故です?」
「それがな・・・」
野村雄三がぽつぽつと説明した。
説明が済み、が何故こうなったのかを話し合っていると、ぺたぺたと、廊下で足音がした。
「誰だ!」
襖を勢いよく開けると、そこには1人の生徒が立っていた。
驚いたような、怒られて居心地が悪いような困ったような顔をしていた。
部屋に返されたにもかかわらず、夜中に外に出た事を悪く思っているようで、すみませんすみませんと謝り倒していた。
「とにかく、何か話があるのなら入りなさい」
そこでようやっと、その生徒は部屋に入り、畳に正座をした。
先生たちに囲まれて緊張しているのか少しどもりながらその生徒は話し始めた。
「あの、僕は、昼の間、ちゃんと遊んでいたんです。あの、で、ちゃんがそんなふうになったの、多分、
おばちゃんと一緒にいたからだと思うんです…」
おばちゃんがびっくりした顔をして、あたしはちゃんに嫌われているのかい?と訊ねた。
その生徒は「違うんです!そういうわけじゃないんです!ただ…」
言葉を続けた。
「遊んでいたときは何ともなかったんです。でも、くの一の女の子が、途中でやってきて、かわいいとかなんとか
言って、ちゃんの頭を撫でたとき、何だかすごく、怖がってるような顔をしてたんです。その子達もすぐそれに気付いて…、
緊張してるのかもしれないってそのときはそれで終わったんですけど…、その後にシナ先生にも会ったんです。
それで、シナ先生に挨拶されたら、ちゃん、僕の後ろに隠れて…、震えてたんです」
「まさか…」
「ちゃん、…女の人が嫌いなんじゃないですか?」
雅之介たちの間に衝撃が走った。
なんともいえない重苦しい雰囲気に、生徒は居心地が悪そうにちらりと伝蔵の顔をうかがった。
それに気付いた伝蔵が部屋に帰るように言った。
その晩、は雅之介の部屋で寝た。
が女性を怖がるのはきっと、母親が原因だろう。
実の母に、殺されかけて、兄を無残な姿にされ、村を滅び去れ、そして母自身も狂って。
はここにもいられないかもしれない。
ここで暮らせばいやでも女と関わらずを得ない。
しかし一生このままでは更にまずい。
が寝返りを打った。
寝顔には辛さも悲しみも滲み出てはいない。
少しずつ、治していくしかないのか。
それならば、わしが責任を取ろう。
この子をきちんと見届けよう。
雅之介はと杭瀬村へ発つことを決めた。
憎炎←→某日
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